陰謀論から明らかにする俺的日本古代史

古代日本史を神社や陰謀論から解釈するブログです。

神社の面白さ



神社の分類

神社とはそもそも何なのでしょう。まずはどんな神社があるか考えてみます。ざっくり分類すると神社、大社、神宮の三種類になると言われています。

神社はその土地の神様を祀っており、大社はその大きいもの、そして神宮は天皇関係と大きくわけられます。ざっくりなので例外はあり、例えば、天皇と関係が無いのに神宮がつく場所はいくつかあるのです。

東照宮

例えば修学旅行で良く行く「日光東照宮」。ここの御祭神は徳川家康です。天皇とは関係ありません。江戸時代に朝廷と権力というか権威争いをしていた結果、朝廷の専売特許の「宮」を名乗ったのかなあ、と考えています。

天満宮

他の例と言えば「天満宮」。ここの御祭神は菅原道真です。やはり天皇とは関係ありません。なのになぜ「宮」に祀られていのでしょう。

道真公の話は有名で、土師氏という差別されるくらいの家の血筋なのに頑張って学問して右大臣にまで登り詰めます。しかし左大臣藤原時平にハメられて大宰府に飛ばされて失意のうちに亡くなります。

その後、時平やその子孫が無くなったり、内裏に雷が落ちたりして、これは道真公の怨霊のせいだということになったわけです。そこで怨霊を祀って祟りを鎮める、といういわゆる怨霊信仰なわけですが、その際に、天満宮という最高の位で祀ったのでは、と考察しています。

また、道真公が京を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」ですが、東から西に風が吹くときに梅が咲いていれば、九州に行っても香りが届くのに、って感じなのでしょうか。なかなかグッときます。

ちなみに「忘れそ」なのか「忘るな」なのか、伝える書物が二つあるものの、直筆の書が失われているため、どちらが正しいのか不明とのこと。

 

というように、神社を調べ考察すると、日本の歴史を理解することに繋がります。これが面白い。このような話が出来ればなあ、と思っています。

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丹後一宮籠神社

丹後一宮、元伊勢、籠神社(このじんじゃ)と奥宮、真名井神社(まないじんじゃ)に行きました。ここではメモ程度に。

御祭神は豊受大御神と彦火明命

ザックリどんな神社かというと、もともとは豊受大御神が御鎮座していたのですが、崇神天皇の御代に天照大神大和国笠縫邑から御遷座して豊受大御神と共に祀られます。その後、天照大神垂仁天皇の御代に倭姫命を御仗代として御遷移。豊受大御神雄略天皇の御代まで御鎮座あらせられ、同時代に伊勢国の山田原に御遷移されたようです(元伊勢籠神社御由緒略記より要約)。お伊勢様が4年ほどいらっしゃったので元伊勢と呼ばれるわけです。

御祭神の正体

元伊勢籠神社御由緒略記は興味深い内容にあふれています。というのは古事記日本書紀に載っていない情報ばかり。本来なら適当な事言ってんなよ、となりますが、こちらは海部宮司が発行していますので、海部家の言い伝えが反映されていると考えます。それによると、奥宮真名井神社の御祭神は豊受大御神倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)との関係が記されています(!)。そして本宮(外宮)籠神社の御祭神は彦火明命(ヒコホアカリノミコト)。何を隠そう彦火明命はあの饒速日命であり、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)その人なのです。

 

元々豊受大御神が鎮座してて、天照大神がいらして、その後2柱とも出て行ったわけです。そして現在名前が残っているのは豊受大御神と彦火明命。神様の配置や移動順、対応などを整理したいところです。そうすればお伊勢様の謎もクリアになるのではないかと思います。

 

また、奥宮は男千木、本宮(外宮)籠神社が女千木。このオチギ、メチギと御祭神の性別がごちゃごちゃなのはお伊勢様と同じです。興味深いなあ。

 

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天橋立傘松公園

天橋立傘松公園にいきました。そこの看板に衝撃的な文章が!要約すると冠島と沓島は籠神社の海の奥宮であり、籠神社の祭神・彦火明命と市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)が天下って夫婦となった神聖な島とのことです。これは記紀にない情報です。

市杵嶋姫命は厳島神社宗像大社の祭神で、天照大神と素盞嗚尊の誓約により生まれています。では彦火明命とは、子孫はいるのだろうか、それは物部氏?などと色々考えたくなるお話です。この情報の正確な引用文献が知りたいなあ。f:id:fukumiminokodomo:20190702174956j:imagef:id:fukumiminokodomo:20190702175019j:image

ブログ開設

古代日本史について色々調べたり考察していまして、どの程度正しいのか、あるいは間違っているのか、色々とディスカッションしてみたくてブログを作ってみました。どういう形になるかまだわからないのですが、なるべく引用文献を明確にして、どこまでが事実でどこまでが考察かわかるようにしていきたいと考えています。